仰るとおり

アラウンドサーティ、わたしと彼女とあのひとと

セックスに満足できないノンケのわたしと、性に奔放なレズビアンの「彼女」のはなし①

 

あけましておめでとうございます。

新年一発目にふさわしい内容かどうかわかりませんが、これから友人の話をします。

 

 

長谷川なち、友人は少ないほうです。

 

幸いなことに人見知りではないため、誰とでもそつなくやんわり仲良くすることができます。

それでも個人的には狭く深い付き合いをしたい、時に少々面倒なタイプです。

 

そんなわたしに親友と呼べる友達が2、3人いるのですが、これはその中でもいちばん愛すべき「彼女」の話です。

 

 

 

 

彼女とはじめて出会ったのは高校の入学式。

 

入学式のため体育館にゆき着席したとき、前に座っていたのが彼女でした。

 

 

「部活、なににするか決めた!?」

 

 

勢いよく振り返った彼女に圧倒され怯むわたし。

人見知りしないとは言いましたが、さすがにあれほどの勢いとキツめの笑顔を突然向けられれば怯まないわけがありません。

 

 

「う、うん、中学で剣道部だったから、剣道部に見学に行こうかと思ってるよ」

 

 

これ、すごく普通の返事だったはずなんですよ。

彼女の質問に対して、的外れな返事をしたつもりはミジンコ程度もないんですよ。

こうして文字にしてみても、何も違和感のない返答。

 

 

「へぇ~…そうなんだ~…」

 

 

おおおぉぉ?

 

顔面はすごく笑顔なのに声のトーンがこのうえなく興味なさそう。

 

 

15歳のわたしは思ったのです。

 

 

(この子とはなかよくなれない気しかしないぜ)

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は群れを作りませんでした。

 

女子高生(以下JK)って群れを作るじゃありませんか。

わたくしはせがわも、例に漏れずJKの法則にのっとりイケてるJK仲間と群れをつくりました。

 

我々の高校は工業高校で、男子ばかりのなかで唯一女子が大半を占めるクラスでした。

 

そして3年間クラス替えはなし。

 

正しい群れに入ることは、15歳のはせがわには重要だったのでしょう。

(ちなみに最初の選択をミスったことには1年ほどで気づきました)

 

 

 

そんななか、彼女は浮いていました。

 

そんなことないヨォ、と彼女は八重歯を見せて笑いますがわたしは真顔で言います、浮いていました。

 

 

彼女の出で立ちはわたしから見れば(おそらく誰から見ても)独特で、人をよせつけないオーラを禍々と放っていました。

 

 

 

じつは、彼女との距離がなぜ縮まったのか、わたしははっきりと覚えていないのです。

 

記憶の欠如。

 

気づいたときには、気まぐれな猫のようにわたしに懐いていました。

 

そしてわたしも、それを当然のように受け入れていたのです。

 

 

「気まぐれな猫」とはまさに妥当な表現でして、彼女はときに腹を空かせたハイエナのようでもありました。

 

わたしは意識して学習するまでもなく、彼女の性質を把握していたような気がします。

 

 

 

 

 

 

彼女が「女と付き合ってる」と教えてくれたときでさえ、未熟な高校生だったはずのわたしの心に動揺も驚きもありませんでした。

 

おそらく、笑ったとは思うのですが。

 

 

 

彼女は、彼女のような女性のことを「レズビアン」と総称していることを知りませんでした。

 

彼女にそれを教えてあげなさい、とでも言うように、ある日図書館で一冊の本を見つけたのです。

 

 

 

『白い薔薇の淵まで』中山可穂集英社

 

 

女性同士の性愛を美しくも激しく(なんというありがちな表現)描いたこの小説との出会いは、わたしと彼女の高校生活を一変させました。

 

なぜレズビアン(元)である彼女の高校生活だけでなく、スーパー男好きノンケのはせがわの高校生活まで?とお思いでしょう。

 

 

 

それについては次回ということで。

 

 

 

 

はせがわ