仰るとおり

アラウンドサーティ、わたしと彼女とあのひとと

八方美人とよばれても

お久しぶりでございます。

まったく、ブログを書くたびにこの台詞を言う毎日とは終わりにしたいものだ。

 

2019年下半期突入。

はせがわ、noteをはじめるの巻。

 

note、はじめました。|長谷川なち @hsgwdc|note(ノート)https://note.mu/hasegawanachi/n/nfdf1f2b51e59

 

いままでnoteは読んではいたのだけど、自分で記事を書くことはしてこなかったわけ。

わたしの話ってあまり胸を張ってたくさんの人に話せるようなことではないし、大勢の目に晒す必要ある?よく登場する元レズビアンの通称「彼女」だけが読んでくれたらよくない?って感じだったわけだ。

実際、本当に書きたいのはそれだから。

 

ここでは引き続きそういう話を書いていくつもりです。

それはもう気まぐれに。

とりあえず「彼女」に催促をされない程度に頑張るという低めのハードル(ほんとうに低めか?)を設けて続けていきます。

 

じゃあnoteではなにすんのさ、って話になるよねえ。

べつにたいそうな話じゃない、ここで言わないようなことを書くだけでさ。

あっちでイエスと言っても、ここではノーと言うかもしれないし、あっちでノーと言ってこっちではさらにノーと言ってるかもしれない。

 

真面目な言葉でまとめると、人に読まれる文章を練習したいと思っているわけ。

 

なにしろはせがわ、新米編集者なもので。

 

 

はせがわ

May 15 死ぬほどの勇気はない

久々のブログを更新し、元レズビアンの友人(以下彼女)と嵐のようなラインをした夜は更け、爽やかな朝が訪れた。

昨日のどんよりとした寝起きとは裏腹に、体は軽く、メイクの乗りも大変よい。このあと駅で見送った満員電車に映る自分の顔の眉毛が描かれていないことに気付くまでは、マスクのジム・キャリーばりに絶好調だった。

 

わたしのいる出版チームは、ここ数週間穏やかな日常が流れており(おそらくアシスタントの私だけ)毎日定時で上がれるくらい暇である。正直な話、8時間の勤務時間の半分以上を眠気と戦いながら過ごしている。

今日は珍しく急ぎの仕事がいくつかあったものの、ただただ長いアシスタント歴のおかげで一瞬で終了。はせがわ、白目。転職サイトを開くが応募した企業からの返信はない。

そうこうしているうちに昼の12時を過ぎ、ようやく携帯が震えたと思ったら先日面接へ行った企業から不合格の通知で本日何度目かの白目。

 

なんやかんやで(よくない表現だと思う)定時に会社を出て駅に向かうが、どうやら品川駅の人身事故で山手線が動かないらしい。

帰宅ラッシュの時間に電車に飛び込むなんて、迷惑にもほどがある…(そういうとこだよ…)という気持ちもありつつ、毎朝信じられない速さで通り過ぎる京急本線の急行を目の前にして(一瞬で死にたきゃ今だな…)と思ったりもするからそれは敢えて言わないでおくことにする。

 

25歳を通り過ぎてから、いつ死のうかと考えることが増えた。もちろん自殺願望はないぞ!

それは私がカウンセリングを受けるような精神状態(おそらく相手のいないセックス依存症)に陥ったせいもあるが、一応パートナー(仮)がいる今でさえ時折自分の死に際について考える。

いまのところ、あまり長生きをするのは好ましくない。たとえばこれからだれかと結婚することになって、子供が出来て、その旦那様といくつになってもセクシーなセックスを楽しめる未来が待っているのだったら話は別だし、そんな人生ぜひお目にかかりたいものだ。(ここで大きめのため息)

 

そんな答えの出ない議論を頭の中で繰り広げながらも、運良く人で溢れた品川駅を通らないルートで帰宅し、せっせと風呂でボディスクラブを体に塗りたくっているから呑気なものだ。塩のスクラブがささくれに滲みて痛い。わたしは生きている。

 

明日も1日暇と戦うことになるのかもと思うと、おそらく今日100回目の白目を剥いてしまうが、とりあえず今日もブログを書いていることを褒めてやりたい。えらい、えらいぞ。

暇が多いと余計なことを考えてしまうのはわたしの悪い癖で、いっそバルカン星人であればよかったと思うことは多々ある。ポンファーなる7年おきの発情期で満足できるのなら楽だ、楽すぎる。残念なことにはせがわの発情期はティーンの頃より衰えを知らず、頻繁な生殖活動が必要である。

 

 

 

それでもはせがわは明日も生きるらしい。

 

 

 

 

 

 

R1 改元のはなし

令和元年。

 

このパソコンで「令和」という文字を変換するのに少々手こずって早速苛ついたが、そんなことはまあどうでもよろしい。

平成初期生まれの長谷川にしてみれば改元というイベントは初体験なのだが、果たしてマスコミが大騒ぎするようなイベントなのだろうか。

 

「令和」という元号が発表された翌日から、朝の情報番組では日本中の「令和」を探し出してインタビュー。どうでもよすぎる。どうでもよすぎて白目を剥いてしまう。

 

世の中の令和にスポットを当てつつも、平成の30年を振り返る1ヶ月は淡々と過ぎていった。

 

 

4月30日。

ゴールデンウィークの10連休も4日目のその日、わたしは一泊二日で軽井沢に訪れていた。

初めての軽井沢!うっきうき~!のはずだったのだが、天気はあいにくの雨。軽井沢、超寒い。

しかし雨の軽井沢もこれまたおもむきがあっていい…と自分の中のロマンチックをフル稼働させる長谷川はとてもポジティブだったと思う。

 

霧に包まれた軽井沢でこれまたおもむきのある割烹料理屋を見つけ、上手い自家製梅酒でほろ酔いの長谷川。そこそこのホテルに戻り、テレビをつけると改元の瞬間を間近にしてこれまた浮かれるマスコミの様子ばかりだった。

 

ありがたいことに、改元で浮かれるマスコミと世の中の風潮はなんだかばかばかしいし滑稽だと思ってくれる恋人?パートナー?(おそらく)が一緒だったことは救いである。

 

日本の人々が和暦にどれほどの思い入れがあるのかは正直わからないし、あまり興味もない。

平成初期生まれのわたしにしてみれば、平成初期生まれだと言うたびに「え~!平成生まれ~!?」と昭和後期も後期生まれのすこし年上のやつらにマウントを取られたものだ。

平成初期生まれがもうアラサーだというのに、まだそんなことを言っている馬鹿者はいる。もしかしたら、令和になったことでその悪しき会話の流れは消滅したかもしれない。

 

軽井沢のホテルのテレビには、予想していた通りゴミのように人で溢れかえる渋谷の様子や、品川区役所で日付が変わるのを待っているカップルの様子。

 

のちに5月1日に籍を入れた地元岡山の友人に聞いた話だけれど、岡山城で婚姻届を受理するというイベント(先着50組)に350組近い申し込みがあったんだとか。

岡山だけでそんなにも結婚を控えているカップルがいることに、長谷川はとりあえず白目をむいた。

 

話はまた軽井沢に戻る。

ああ、もう数分で令和に変わる。

あと1分を切ったとき、あの超セクシージャーナリストの池上彰氏が1分で平成を振り返りはじめた。

(ああ!池上彰!超セクシー!Ugh!)なんて思いながらカウントは一桁に。

 

こんな風に年越しのテンションになることは目に見えていたし、もっと白けた気持ちになると思っていたけれど、せっかく改元のタイミングにパートナー(仮)が側にいるのだからよき思い出にするのは悪いことじゃないはず、なち、捻くれるのはおやめなさいよ、と心の長谷川が語りかける。

 

次の改元にお目にかかれるかどうかもわからないし、未来のことは誰にもわからないけどわたしはたしかに趣のあるロマンチックな(超寒い)軽井沢にいるしな、そうだな、と思った長谷川はパートナー(仮)の手を取り日付の変わる瞬間に接吻。

 

結局のところ、軽井沢にいたおかげですっかり浮かれていたようだ。

 

翌朝は無事雨も止み、浅見光彦記念館へ。

そしてそれを酷く楽しんだパートナー(仮)はその夜出張へ出かけて行った。

 

令和を迎えた東京は蒸し暑くて、翌日帰った岡山は冗談みたいに暑かった。

 

 

ゴールデンウィーク、10連休はさすがに勘弁してほしい。

 

 

May 14 こんなものである。

 

怠慢が怠慢を呼び、何ヶ月も放置していたブログを書きはじめる。

なにか新しいことを始めるたびに意気揚々とお互い頑張る宣言をする元レズビアンの友人(以下彼女)はどうしているだろうかと考えながら、昼前にのそのそと起き上がった。

 

ここ1ヶ月、転職活動を本格的に進めはじめたおかげでどこか疲弊していた。

会社の課長にだけ転職活動をはじめることを伝えたわたしは、時折定時まえにそそくさと会社を出ては面接へ。

 

今のところ手応えはなしである(白目)。

 

というわけで、今日は休みを取り、転職エージェントとメールのやりとりをしたり、彼女へラインでもしてみようかと考えていたところにちょうど彼女からのラインが。

 

「ブログ更新したでよ」

 

どうやら彼女も放置気味のブログを気にかけていたらしい。

高校時代から我々はいつもこの調子である。

それでも彼女の私生活はとても楽しそうで、わたしも綺麗で広いキッチンがある部屋に引っ越して、金魚でも飼おうかなんて考えるわけだけど、かわいい生き物にわたしの怠慢や邪なデイリールーティンを見せるのは大変にしのびないのでいまのところ却下。そして素晴らしい転職に成功するまでは引っ越しも保留である。

ひとまずは彼女のおかげでわたしはいまパソコンに向かっている。もう夜の8時だけど。

 

1日何を考えていたかというと、よく知りもしない会社に入りたい動機を捻りだしたり、おそらく同世代の女子である転職エージェントがうまくわたしの推薦文を書いてくれるか懸念したり、最近のヴァギナの調子はどうかしらと膣トレをしてみたり、時折襲ってくる頭痛はやっぱりタバコの吸いすぎかしら?と思いつつついついマッチに火をつけたり、そろそろマクドナルドに行くかと立ち上がってブラジャーを装着する。

 

アラサーのオフなんて所詮こんなものである。

 

たいへん皮肉なもので、仕事中はあれやこれや書きたいネタが浮かんでくるのに、暇をつくると途端に手が止まってしまう。

将来的にはライターになりたいなあ、なんて思うのだが、実は向いていないのかもとひとりで落ち込んだり(きっとそれは間違いない)、死ぬときはきっとひとりなんだろうなとか、思考は飛躍的な脱線を始め、漠然と白目を剥いたりする。

 

アメリカのコメディドラマを観ているはずなのに、「もしかしたらこの先誰にも愛されることなんてないのかも…」なんてシリアスでセンシティブな台詞が飛び出して、それに黙ってうんうんと頷いてみたり、でもそんなことを言っている彼女はとても綺麗で強いしそもそもドラマのキャラクターじゃんバッキャロー!と頭を抱えつつもドラマはとてもおもしろくて数分後にはまぬけな顔でケラケラ笑っているのがわたしだ。そしてブルックリン・ナイン-ナインは超おすすめだからいますぐNetflixに入会して観てほしい。

 

 

何度も言うがアラサーのオフなんて所詮こんなものである。

 

 

この街と整骨院とあのひととわたしのはなし ②

 

2019年1月30日

 

目が覚めたとき、既に時刻は15時半を回っていた。

 

毎朝8時過ぎに起床し、9時には電車に乗って出勤しているはずなのだが、今朝はどうにもこうにも起き上がれなかった。

 

もともと片頭痛持ちの長谷川は、数ヶ月に一度こんなことになる。

 

アラサー謎の体調不良。

 

吸いすぎた煙草のせいなのか、はたまた蓄積されたストレスか。

たしかに、未来への漠然とした不安からくるストレスは並大抵のものではない。

 

そうはいってもこれまでオプティミストとして生きて来た。

 

まあ、なんとかなるでしょう。

なるようにかならないでしょう。

結婚願望?ないねえ

子供?そりゃあ相手がわたしを孕ませたいと言ったときはじめて欲しいと思うんでしょう。

仕事?そうだねえ、今のままではいけないよねえ。

 

そんな御託を並べながら、婚活に勤しむ同年代の女子を横目で見てにこにこ。

 

そんなふうにしていられるのも、まだ30代になっていないアラウンド30ビギナーであるからで。

 

どんなにいい家庭を築いて、どんなに子宝に恵まれて、どんなに幸せな生活をしていても、いいセックスができないならそんなにつらいことはないでしょう。

 

という、端からすれば負け犬の遠吠え。

 

実際そんな長谷川がいいセックスをしているかと訊かれると、大きく首を縦に振ることはできなかったのだ。

 

 

 

はたして「いいセックス」とは何なのか。

 

 

それはもちろん人によりけりなのだが、長谷川にとっての「いいセックス」とは。

 

長谷川がカウンセリングに通うようになった理由のひとつが、それだった。

 

 

 

 

4年付き合った恋人とはずっと遠距離だった。

後半の2年は、ほとんど会っていない。

 

年上だった彼は仕事に打ち込み、仕事関係の人付き合いを優先した。

 

当時大学院生だったわたしは、研究に打ち込むことにした。

 

きっとこの人と結婚するだろうな。

 

お互いがそう思っていたはずだったのだが、会わなかった2年間それを曲げなかったのはどうやら長谷川だけだったらしい。

 

 

それにしたって、2年ぶりに会えばもちろんハリウッド映画のように燃え上がるセックスが出来るのでは、と期待したものだ。

 

ドアを開けた瞬間唇を貪り合い、壁に押し付けられながら荒い吐息の漏れる接吻をし、お互いの衣服を剥きあうような、情熱的なセックスを。

 

少々大げさではあるが、そのくらい期待してもいいのではないだろうか。

 

 

正直、こちらは随分待った。

 

本当は1年だけ自分のことに集中するという制約だったはずなのに、あれよあれよと2年がすぎた。

 

2年も恋人と交わらなければ、女なんてすぐ処女に逆戻りだ。

残念ながら長谷川にはシリコンの相棒がいたため処女膜再生はしなかったが、そんなことを男は知る由もない。

 

結局、再会した晩は何もなかった。

 

接吻もなければ、触れてくる様子もない。

 

挙句の果てに、「やっぱりちょっと太ったな」とのこと。

 

そのまま眠ってしまった彼の横で思わず涙を流し、翌朝ようやくはじめての接吻。

 

 

「お腹減ったな~」という一言で、性欲よりも食欲を優先され、そのまま何もなしに食事をしてその日は終了。

 

 

その後4ヶ月、わたしは大学院を卒業し、勝手に東京へ居を構えた。

長谷川の卒業後のことなどまるで興味がなかったのだろう。

驚きはしたが、止めはしなかった。

 

そしてようやく、4年間の関係は終結したのだ。

 

長谷川は、なんともいえない爽やかな気持ちだった。

その後仕事も決まり、薄給ではあるが編集アシスタントとして働き始めた。

 

 

別れた彼に未練などは微塵もなかった。

 

1年ほど経ったとき、それは突然訪れたのだ。

 

 

 

 

(わたしは、セックスを…していない…)

 

 

 

長谷川はシリコンの相棒を右手に持ったまま、ベッドの上で震えていた。

 

 

 

 

 

はせがわ

 

 

 

 

 

この街と整骨院とあのひととわたしのはなし ①

2019年1月5日土曜日の午後3時。

 

はせがわの住む小さなアパートのひとつ向こうの通りは、アーケードのない開けた商店街。

 

年末から元日にかけてはまるで人通りがなかったのに、2日ごろから商店街は活気を取り戻し始め、いまわたしがいるドトールにいるのは半分以上がおじいさんやおばあさん。

 

わたしの横に座っている唯一わたしと同年代くらいの女性は熱心に楽譜を読んでいて、反対側の席3つは、おばさん、おばあさん、おばあさん。

 

ほとんど神奈川との県境にあるこの街で暮らし始めて、3年が経とうとしている。

 

 

 

地元である岡山の大学院を卒業し、職もないまま上京してきたはせがわ。

なぜこの街に住むことを決めたのかというと、ここからなら都内へも横浜へもアクセスがよかっ

たから。

 

京急本線沿線のこの街からは、都心部へ行こうと思うと一度品川を経由しなければいけない。

歩いて15分ほどのJR京浜東北線の駅へ行ったとしても同じこと。

しかし、30分に一本しか電車のこない岡山で24年間暮らしたわたしにとってそんなことは「面倒」のうちに入らなかった。

 

横浜へもすぐに出られるとなれば、職探しの幅も広がるのでは、という田舎者の安易な考え。

 

 

高校時代の友人と、大学時代同じゼミだった友人がたまたま杉並区の高円寺に住んでいた。

部屋探しのついでに泊めてもらい、街の様子を見てみたが、どうも高円寺の空気ははせがわには合わなかった。

 

小洒落た商店街。

名前もきいたことのないような、個人経営の喫茶店や、少し古くてお洒落な雑貨を売っているさびれたお店。

 

街並みもどこか綺麗で、少し息がつまるようだった。

 

 

岡山から、羽田空港へ降り立ったはせがわがまず訪れたのが羽田空港から電車で約15分のこの街だった。

 

 

雑、すごく雑!

そこかしこに雑で小汚い(褒めている)飲み屋が連なって、夜になるとそこかしこに酔っ払いが倒れて眠っている。

 

昼間はヴェールを被っているが、夜になると一気にその化けの皮が剥がれるこの感じ。

 

この雑な感じはどこか岡山駅前に似ていた。

 

 

(このへんに住もう)

 

 

1日部屋をみて回り、最後にたどり着いた部屋が今のわたしの部屋というわけだ。

岡山に住んでいた頃の倍の家賃を払っているが、最寄り駅からの距離、周辺環境を考えると妥当な値段だった。

 

 

それから2ヶ月職を探し、ようやく今の会社に編集アシスタントとして採用され一安心していたが、今また新天地を求めて職務経歴書を必死に(盛って)書いている。

 

この街に住むのは一時的なことで、そのうちいろんな街に住みたいな、なんて思っていたがしばらくそういうわけにもいかなそうだ。

 

 

 

 

 

もともと慢性的な肩こりだったはせがわはマッサージへ行くのがひとつの趣味で、東京でもお気に入りの店を見つけて金曜の夜などにご褒美として楽しんでいた。

 

しかしある朝、突然猛烈な腰の痛みに襲われ泣く泣く会社を休んだ。

 

立ち上がるのもしんどい。

 

まじくそいってえ。

 

これはマッサージでなんとかなるものではない…医者に診てもらわねば。

 

 

 

携帯を見るのも正直きつかった。

駅前に整骨院があるのを確認し(こんなのあったっけ…)と思いながら、あまりにきちんとしたホームページのスタッフ紹介ページを開いた。

 

 

院長、ものすごく若い。

わたしより少し年上、おそらく32、3歳ごろだろうか。

 

あまりに誠実な院長のメッセージに(よし、こいつにわたしの腰を託そう…)と、重い腰を上げて徒歩5分の駅前まで歩いたのだった。

 

 

 

 

ピンヒールを好んで履くはせがわ。

お気に入りのダイアナのパンプスは実に9cmのヒールで、これを履いてあの渋谷道玄坂(職場は渋谷)を闊歩していたのだ。

まるで正社員のようなツラをして。(本当はアルバイトの編集アシスタント)

 

それが祟ってひどい反り腰。

骨盤が前に傾いてケツが突き出る、海外のディーバのような状態になっていた。(わたしはべつにそれでもよかった、痛みさえなければ)

 

そして前日の晩、どうやらわたしはうつ伏せで眠ってしまったらしく、その反り腰に一気に負担をかけてしまったようなのだ。

 

 

死にそうな顔でたどり着いた整骨院には、ホームページにいたあの院長がいて(当然だ)、骨盤ゆがんでますね~、とうつ伏せに横たわるわたしの骨盤のしたに柔らかいブロックを入れた。

 

なぜわたしの腰がこんなにも痛み、歪み、どういう状態になっており、これからどう施術するかを丁寧に説明された。

 

 

 

 

治療の後、わたしの腰は見事に回復していた。

 

 

 

「はせがわさん、明日も頑張ってきてくださいね」

 

「ああ、はい…」

 

 

 

保険がきくからいいものの、長期戦になると困るな。

 

 

 

 

 

 

そんなことを思ったあの日から、実に1年半が過ぎました。

この1年半に整骨院でおこったさまざまな出来事(ほとんど酒絡み)のおかげで、この街をわたしの3番目のホームと呼ぶしかなくなってしまったのです。(2番目は、ニューヨーク)

 

これはこの街と整骨院とあのひととわたしのはなし。

 

 

来月、院長(じつは当時28歳だった)の結婚式に出席します。

 

 

 

 

 

はせがわ

 

セックスに満足できないノンケのわたしと、性に奔放なレズビアンの「彼女」のはなし③

高校生だったはせがわと「彼女」の朝はとても早く、7時半をまわるころにはふたりとも登校していました。

 

わたしたちが通っていた高校は県内最大の工業高校で、機械科、土木科、電気科、情報技術科、化学工学科、建築科、デザイン科の7科がありました。

 

わたしたちはデザイン科に在籍しており、唯一女子生徒が大半を占める科でした。

 

マッキントッシュもどんどん薄くなっていき、ついにはアルミによる軽量化まで進んだ時期だというのに、うちのデザイン科は手作業を重んじる老舗の学科でした。

 

ばかでかい敷地の隅に佇む3階建てのデザイン科棟。

 

2階には、くせの強いデザイン科の教員が集まる職員室。

その横の実習室の黒板の上には、偉大なるモダンデザインの父、ウィリアム・モリスの写真が飾られていたのです。

 

あれ、1階の実習室だったかな?

 

そんなことはさておき、わたしと彼女の朝の集合場所はその3階にあるデッサン室でした。

 

 

壁際の棚にはデッサン用の石膏やら大小様々な瓶やら、紐やらなんやら、とにかくそういったモチーフが無造作に収納されていました。

 

そして隅に追いやられた石膏の胸像たち。

 

 

わたしと彼女は、大学入試を控えていました。

 

県内の大学のデザイン科に進むことを決めたわたしたち。

 

工業高校生のわたしたちにセンター試験を受けるという選択肢はなく、11月末ごろに実施される推薦入試を狙うほかなかったのです。

 

それに必要なのが、静物デッサン。

 

 

 

入試対策のデッサンのはずでした。

 

 

 

 

しかし彼女がなにをしていたかというと、いま思い出しても理解不能

 

 

 

 

「ねえねえ、ちょっと見て」

 

 

彼女が手を止めて部屋の隅の石膏像に近寄ったと思うと、おもむろにその石膏像の後頭部を抱いて口付けたのです。

 

無論、わたしは爆笑しました。

 

その石膏像が、ブルータスだったか、マルスだったか、アリアスだったか、はたまた違う誰かだったか。

 

それは思い出せませんが、きっと女性だったのかもしれません。

当時の彼女の興味は、女性ばかりだったはずなので。

 

でも、女、女、と毎日飽きずに楽しそうにしている彼女にも、ひとりだけ魅力的に見えた男性がいました。

 

 

それは、わたしたちを3年間担任してきた男性教師のF先生でした。

 

彼といったらもう、当時40代前半、6フィート(182cmくらい、言いたかっただけです)ほどの長身と、整えられた口髭と濃いめのあごひげ、下がった眉に眼鏡というそれはもうパーフェクトな見た目の中年男性でした。

 

少々捻くれものなのは、美大出身者であることの象徴のようなもので、冗談半分に悪態をつかれても嫌味を言われてもわたしたちはそれはもう興奮したものです。

 

当時から年上のおじさまを好んだわたしにとってはもちろんど真ん中でしたが、彼女にとってもそれは同じだったようです。

 

そして彼女は言いました。

 

 

「いつになったら遊んでくれますか」

 

「おまえが24歳になったらね」

 

「24歳になったら遊んでくれますか?」

 

 

男性器をあんなにも嫌っている彼女が、こんなにもしおらしい表情で、とんでもないお願いをしている。

 

わたしは彼女のあんなにも照れた様子をみたことがありませんでした。

 

そんな彼女の質問に、少々うろたえつつも最高の返答をした彼もたいそうあっぱれ。

 

 

 

 

 

 

彼女の言動はいつだって小説の主人公のようでした。

 

 

 

いえ、主人公はわたし。

彼女はわたしを振り回すもうひとりの主人公のようでした。

 

 

彼女と仲良くなった経緯はすっかり忘れていても、朝日の差し込むデッサン室で石膏像に接吻する彼女の姿はいまでも鮮明に覚えています。

 

猛烈に強烈でした。

 

とんでもない女を手懐けてしまったものだ、と。

 

 

 

わたしたち、デッサンをしていたんですよ。

 

黙々と鉛筆を滑らせていたかと思うと、次の瞬間にはなにか別のことをしていて、また描き始めたかと思えば石膏像に接吻。

 

でも彼女は気づけば

彼女、とても飽きっぽいんです。

 

その飽きっぽさについては、また次回。

 

 

わたしたちは朝デッサンをし、授業中には絵を描き、小説を描き、放課後別れた後はメールでやりとりをしながら今度はパソコンで絵を描く。

 

受験前とは思えない怠慢ぶりではありましたが、お互い要領は悪くなかったのでしょう(彼女は要領がすごくいい)、無事受験も難なく合格。

 

 

違うコースではありましたが、同じ大学の同じ学部に通うことが決まりました。

 

 

 

 

いま思い返しても、インドアなわりに刺激の強い高校生活でありました。

 

 

 

 

 

はせがわ