セックスに満足できないノンケのわたしと、性に奔放なレズビアンの「彼女」のはなし③
高校生だったはせがわと「彼女」の朝はとても早く、7時半をまわるころにはふたりとも登校していました。
わたしたちが通っていた高校は県内最大の工業高校で、機械科、土木科、電気科、情報技術科、化学工学科、建築科、デザイン科の7科がありました。
わたしたちはデザイン科に在籍しており、唯一女子生徒が大半を占める科でした。
マッキントッシュもどんどん薄くなっていき、ついにはアルミによる軽量化まで進んだ時期だというのに、うちのデザイン科は手作業を重んじる老舗の学科でした。
ばかでかい敷地の隅に佇む3階建てのデザイン科棟。
2階には、くせの強いデザイン科の教員が集まる職員室。
その横の実習室の黒板の上には、偉大なるモダンデザインの父、ウィリアム・モリスの写真が飾られていたのです。
あれ、1階の実習室だったかな?
そんなことはさておき、わたしと彼女の朝の集合場所はその3階にあるデッサン室でした。
壁際の棚にはデッサン用の石膏やら大小様々な瓶やら、紐やらなんやら、とにかくそういったモチーフが無造作に収納されていました。
そして隅に追いやられた石膏の胸像たち。
わたしと彼女は、大学入試を控えていました。
県内の大学のデザイン科に進むことを決めたわたしたち。
工業高校生のわたしたちにセンター試験を受けるという選択肢はなく、11月末ごろに実施される推薦入試を狙うほかなかったのです。
それに必要なのが、静物デッサン。
入試対策のデッサンのはずでした。
しかし彼女がなにをしていたかというと、いま思い出しても理解不能。
「ねえねえ、ちょっと見て」
彼女が手を止めて部屋の隅の石膏像に近寄ったと思うと、おもむろにその石膏像の後頭部を抱いて口付けたのです。
無論、わたしは爆笑しました。
その石膏像が、ブルータスだったか、マルスだったか、アリアスだったか、はたまた違う誰かだったか。
それは思い出せませんが、きっと女性だったのかもしれません。
当時の彼女の興味は、女性ばかりだったはずなので。
でも、女、女、と毎日飽きずに楽しそうにしている彼女にも、ひとりだけ魅力的に見えた男性がいました。
それは、わたしたちを3年間担任してきた男性教師のF先生でした。
彼といったらもう、当時40代前半、6フィート(182cmくらい、言いたかっただけです)ほどの長身と、整えられた口髭と濃いめのあごひげ、下がった眉に眼鏡というそれはもうパーフェクトな見た目の中年男性でした。
少々捻くれものなのは、美大出身者であることの象徴のようなもので、冗談半分に悪態をつかれても嫌味を言われてもわたしたちはそれはもう興奮したものです。
当時から年上のおじさまを好んだわたしにとってはもちろんど真ん中でしたが、彼女にとってもそれは同じだったようです。
そして彼女は言いました。
「いつになったら遊んでくれますか」
「おまえが24歳になったらね」
「24歳になったら遊んでくれますか?」
男性器をあんなにも嫌っている彼女が、こんなにもしおらしい表情で、とんでもないお願いをしている。
わたしは彼女のあんなにも照れた様子をみたことがありませんでした。
そんな彼女の質問に、少々うろたえつつも最高の返答をした彼もたいそうあっぱれ。
彼女の言動はいつだって小説の主人公のようでした。
いえ、主人公はわたし。
彼女はわたしを振り回すもうひとりの主人公のようでした。
彼女と仲良くなった経緯はすっかり忘れていても、朝日の差し込むデッサン室で石膏像に接吻する彼女の姿はいまでも鮮明に覚えています。
猛烈に強烈でした。
とんでもない女を手懐けてしまったものだ、と。
わたしたち、デッサンをしていたんですよ。
黙々と鉛筆を滑らせていたかと思うと、次の瞬間にはなにか別のことをしていて、また描き始めたかと思えば石膏像に接吻。
でも彼女は気づけば
彼女、とても飽きっぽいんです。
その飽きっぽさについては、また次回。
わたしたちは朝デッサンをし、授業中には絵を描き、小説を描き、放課後別れた後はメールでやりとりをしながら今度はパソコンで絵を描く。
受験前とは思えない怠慢ぶりではありましたが、お互い要領は悪くなかったのでしょう(彼女は要領がすごくいい)、無事受験も難なく合格。
違うコースではありましたが、同じ大学の同じ学部に通うことが決まりました。
いま思い返しても、インドアなわりに刺激の強い高校生活でありました。
はせがわ