仰るとおり

アラウンドサーティ、わたしと彼女とあのひとと

May 15 死ぬほどの勇気はない

久々のブログを更新し、元レズビアンの友人(以下彼女)と嵐のようなラインをした夜は更け、爽やかな朝が訪れた。

昨日のどんよりとした寝起きとは裏腹に、体は軽く、メイクの乗りも大変よい。このあと駅で見送った満員電車に映る自分の顔の眉毛が描かれていないことに気付くまでは、マスクのジム・キャリーばりに絶好調だった。

 

わたしのいる出版チームは、ここ数週間穏やかな日常が流れており(おそらくアシスタントの私だけ)毎日定時で上がれるくらい暇である。正直な話、8時間の勤務時間の半分以上を眠気と戦いながら過ごしている。

今日は珍しく急ぎの仕事がいくつかあったものの、ただただ長いアシスタント歴のおかげで一瞬で終了。はせがわ、白目。転職サイトを開くが応募した企業からの返信はない。

そうこうしているうちに昼の12時を過ぎ、ようやく携帯が震えたと思ったら先日面接へ行った企業から不合格の通知で本日何度目かの白目。

 

なんやかんやで(よくない表現だと思う)定時に会社を出て駅に向かうが、どうやら品川駅の人身事故で山手線が動かないらしい。

帰宅ラッシュの時間に電車に飛び込むなんて、迷惑にもほどがある…(そういうとこだよ…)という気持ちもありつつ、毎朝信じられない速さで通り過ぎる京急本線の急行を目の前にして(一瞬で死にたきゃ今だな…)と思ったりもするからそれは敢えて言わないでおくことにする。

 

25歳を通り過ぎてから、いつ死のうかと考えることが増えた。もちろん自殺願望はないぞ!

それは私がカウンセリングを受けるような精神状態(おそらく相手のいないセックス依存症)に陥ったせいもあるが、一応パートナー(仮)がいる今でさえ時折自分の死に際について考える。

いまのところ、あまり長生きをするのは好ましくない。たとえばこれからだれかと結婚することになって、子供が出来て、その旦那様といくつになってもセクシーなセックスを楽しめる未来が待っているのだったら話は別だし、そんな人生ぜひお目にかかりたいものだ。(ここで大きめのため息)

 

そんな答えの出ない議論を頭の中で繰り広げながらも、運良く人で溢れた品川駅を通らないルートで帰宅し、せっせと風呂でボディスクラブを体に塗りたくっているから呑気なものだ。塩のスクラブがささくれに滲みて痛い。わたしは生きている。

 

明日も1日暇と戦うことになるのかもと思うと、おそらく今日100回目の白目を剥いてしまうが、とりあえず今日もブログを書いていることを褒めてやりたい。えらい、えらいぞ。

暇が多いと余計なことを考えてしまうのはわたしの悪い癖で、いっそバルカン星人であればよかったと思うことは多々ある。ポンファーなる7年おきの発情期で満足できるのなら楽だ、楽すぎる。残念なことにはせがわの発情期はティーンの頃より衰えを知らず、頻繁な生殖活動が必要である。

 

 

 

それでもはせがわは明日も生きるらしい。