この街と整骨院とあのひととわたしのはなし ①
2019年1月5日土曜日の午後3時。
はせがわの住む小さなアパートのひとつ向こうの通りは、アーケードのない開けた商店街。
年末から元日にかけてはまるで人通りがなかったのに、2日ごろから商店街は活気を取り戻し始め、いまわたしがいるドトールにいるのは半分以上がおじいさんやおばあさん。
わたしの横に座っている唯一わたしと同年代くらいの女性は熱心に楽譜を読んでいて、反対側の席3つは、おばさん、おばあさん、おばあさん。
ほとんど神奈川との県境にあるこの街で暮らし始めて、3年が経とうとしている。
地元である岡山の大学院を卒業し、職もないまま上京してきたはせがわ。
なぜこの街に住むことを決めたのかというと、ここからなら都内へも横浜へもアクセスがよかっ
たから。
京急本線沿線のこの街からは、都心部へ行こうと思うと一度品川を経由しなければいけない。
歩いて15分ほどのJR京浜東北線の駅へ行ったとしても同じこと。
しかし、30分に一本しか電車のこない岡山で24年間暮らしたわたしにとってそんなことは「面倒」のうちに入らなかった。
横浜へもすぐに出られるとなれば、職探しの幅も広がるのでは、という田舎者の安易な考え。
高校時代の友人と、大学時代同じゼミだった友人がたまたま杉並区の高円寺に住んでいた。
部屋探しのついでに泊めてもらい、街の様子を見てみたが、どうも高円寺の空気ははせがわには合わなかった。
小洒落た商店街。
名前もきいたことのないような、個人経営の喫茶店や、少し古くてお洒落な雑貨を売っているさびれたお店。
街並みもどこか綺麗で、少し息がつまるようだった。
岡山から、羽田空港へ降り立ったはせがわがまず訪れたのが羽田空港から電車で約15分のこの街だった。
雑、すごく雑!
そこかしこに雑で小汚い(褒めている)飲み屋が連なって、夜になるとそこかしこに酔っ払いが倒れて眠っている。
昼間はヴェールを被っているが、夜になると一気にその化けの皮が剥がれるこの感じ。
この雑な感じはどこか岡山駅前に似ていた。
(このへんに住もう)
1日部屋をみて回り、最後にたどり着いた部屋が今のわたしの部屋というわけだ。
岡山に住んでいた頃の倍の家賃を払っているが、最寄り駅からの距離、周辺環境を考えると妥当な値段だった。
それから2ヶ月職を探し、ようやく今の会社に編集アシスタントとして採用され一安心していたが、今また新天地を求めて職務経歴書を必死に(盛って)書いている。
この街に住むのは一時的なことで、そのうちいろんな街に住みたいな、なんて思っていたがしばらくそういうわけにもいかなそうだ。
もともと慢性的な肩こりだったはせがわはマッサージへ行くのがひとつの趣味で、東京でもお気に入りの店を見つけて金曜の夜などにご褒美として楽しんでいた。
しかしある朝、突然猛烈な腰の痛みに襲われ泣く泣く会社を休んだ。
立ち上がるのもしんどい。
まじくそいってえ。
これはマッサージでなんとかなるものではない…医者に診てもらわねば。
携帯を見るのも正直きつかった。
駅前に整骨院があるのを確認し(こんなのあったっけ…)と思いながら、あまりにきちんとしたホームページのスタッフ紹介ページを開いた。
院長、ものすごく若い。
わたしより少し年上、おそらく32、3歳ごろだろうか。
あまりに誠実な院長のメッセージに(よし、こいつにわたしの腰を託そう…)と、重い腰を上げて徒歩5分の駅前まで歩いたのだった。
ピンヒールを好んで履くはせがわ。
お気に入りのダイアナのパンプスは実に9cmのヒールで、これを履いてあの渋谷道玄坂(職場は渋谷)を闊歩していたのだ。
まるで正社員のようなツラをして。(本当はアルバイトの編集アシスタント)
それが祟ってひどい反り腰。
骨盤が前に傾いてケツが突き出る、海外のディーバのような状態になっていた。(わたしはべつにそれでもよかった、痛みさえなければ)
そして前日の晩、どうやらわたしはうつ伏せで眠ってしまったらしく、その反り腰に一気に負担をかけてしまったようなのだ。
死にそうな顔でたどり着いた整骨院には、ホームページにいたあの院長がいて(当然だ)、骨盤ゆがんでますね~、とうつ伏せに横たわるわたしの骨盤のしたに柔らかいブロックを入れた。
なぜわたしの腰がこんなにも痛み、歪み、どういう状態になっており、これからどう施術するかを丁寧に説明された。
治療の後、わたしの腰は見事に回復していた。
「はせがわさん、明日も頑張ってきてくださいね」
「ああ、はい…」
保険がきくからいいものの、長期戦になると困るな。
そんなことを思ったあの日から、実に1年半が過ぎました。
この1年半に整骨院でおこったさまざまな出来事(ほとんど酒絡み)のおかげで、この街をわたしの3番目のホームと呼ぶしかなくなってしまったのです。(2番目は、ニューヨーク)
これはこの街と整骨院とあのひととわたしのはなし。
来月、院長(じつは当時28歳だった)の結婚式に出席します。
はせがわ