セックスに満足できないノンケのわたしと、性に奔放なレズビアンの「彼女」のはなし②
昨日の記事で話した「彼女」とのことは、いわゆる序章です。
私と彼女がこの作品に出会ってからが、わたしたちの本当の高校生活のはじまりでした。
図書館でその文庫を見つけたはせがわ。
早熟だったはせがわは官能小説に興味津々。
少しエッチな(とはいえどぎつめの)小説を好んで読んでいました。
そんなはせがわはいつしか渡辺淳一の小説のファンになり、男女の性愛を描いた作品を探し回るようになります。
そんなときに出会ったこの作品。
表紙の写真に(背骨のラインが少々貧相だな)と思いつつも、その本が纏う艶っぽいオーラに引き寄せられるようでした。
蓋を開ければ女性同士の性愛小説。
何に驚いたかって、主人公の「クーチ」が恋に落ちる小説家の「塁」という女性。
活字で描かれた「塁」は、わたしの中の「彼女」と完全に重なっていたのです。
女性と付き合っているという彼女に、わたしはその本を手渡しました。
すごくおもしろいから読んで、と言って渡したような気がしたのですが、彼女曰く「きみって、レズビアンだと思うよ?」だったそうです。
記憶の改ざん。
(彼女は細かい会話をいまでもよく覚えています。)
彼女はすぐに「クーチ」に夢中になりました。
それはもう「塁」のように。
ある日、珍しく彼女から電話がありました。
わたしが勧めるまで頑なに携帯電話を持たなかった彼女。
そういうところも浮いていた理由のひとつでした。
携帯電話を手にしたからといって、鬼のようにメールは来れど電話がかかってくるなどということは皆無でした。
電話に出ると、すんすんと泣きじゃくる彼女の声。
いったいどうしたのかと、さすがのはせがわも動揺しました。
「わたし男無理だった」
女子みたいな声で泣きじゃくる彼女(女子だ)。
わたしにその事実を受け入れる以外の選択肢はなく、彼女もまた自分がレズビアンであることを確信した様子でした。
そしてその後、彼女が高校時代に付き合った女性は数人いましたが(わたしが知る限りでは数人)、そのすべての女性がノンケでした。
ノンケの女性を口説き落とせる彼女をわたしは素直に(すんげえ)と思ったし、彼女には女性をうっかり夢中にさせてしまう魅力はあると感じていました。
ほら、女の子って気まぐれな猫が好きでしょう?
ちなみにわたしは犬が好きです。
そう、男の子が好きなんです。
少なくとも高校時代のあの時期に彼女がわたしに心を開いてくれていたのは間違いありませんでした。
そんな彼女は時折わたしをその気にさせるような発言をしました。
どこぞのノンケ女を引っ掛けてきたテクニックをわたしで実践しているような気がしました。
それをさらりとかわせたことには、きちんと理由があるのです。
男性器が嫌いな彼女と、男性器が好きなわたし。
決して交わることのないステージに、わたしたちはいたのです。
わたしは他人の女性器を嫌悪し、彼女は他人の女性器を愛でました。
わたしは男性器を溺愛し、彼女は男性器を彼女の世界から排除しました。
わたしに少しでも、男性器への執着がなかったとしたら?
わたしが少しでも、男性器の汗とアンモニアの匂いを嫌悪していたら?
その気にさせたり、その気になったりしていたのかもしれませんね。
なんてたって高校生。
そのうえ『白い薔薇の淵まで』の活字の世界に魅了されていたわたしたちに、こんなにも手っ取り早い相手はいなかったでしょう。
ただ、はせがわは嫌いでした。
女性の生温い体温をたいへん嫌っておりました。
それについては、のちに話すとして。
彼女はそんなわたしを理解し、面白いとさえ言ってくれていました。
そしてわたしたちには、ふたりで楽しむべきことが他にもあったのです。
それが、文章を書くことでした。
『白い薔薇の淵まで』
この作品はわたしたちに己を再確認させ、活字への情熱を与えてくれた、いわばバイブルと呼ぶべき存在なのです。
次回からは、わたしと彼女の愉快な高校生活を綴っていこうとおもいます。
はせがわ
セックスに満足できないノンケのわたしと、性に奔放なレズビアンの「彼女」のはなし①
あけましておめでとうございます。
新年一発目にふさわしい内容かどうかわかりませんが、これから友人の話をします。
長谷川なち、友人は少ないほうです。
幸いなことに人見知りではないため、誰とでもそつなくやんわり仲良くすることができます。
それでも個人的には狭く深い付き合いをしたい、時に少々面倒なタイプです。
そんなわたしに親友と呼べる友達が2、3人いるのですが、これはその中でもいちばん愛すべき「彼女」の話です。
彼女とはじめて出会ったのは高校の入学式。
入学式のため体育館にゆき着席したとき、前に座っていたのが彼女でした。
「部活、なににするか決めた!?」
勢いよく振り返った彼女に圧倒され怯むわたし。
人見知りしないとは言いましたが、さすがにあれほどの勢いとキツめの笑顔を突然向けられれば怯まないわけがありません。
「う、うん、中学で剣道部だったから、剣道部に見学に行こうかと思ってるよ」
これ、すごく普通の返事だったはずなんですよ。
彼女の質問に対して、的外れな返事をしたつもりはミジンコ程度もないんですよ。
こうして文字にしてみても、何も違和感のない返答。
「へぇ~…そうなんだ~…」
おおおぉぉ?
顔面はすごく笑顔なのに声のトーンがこのうえなく興味なさそう。
15歳のわたしは思ったのです。
(この子とはなかよくなれない気しかしないぜ)
と。
彼女は群れを作りませんでした。
女子高生(以下JK)って群れを作るじゃありませんか。
わたくしはせがわも、例に漏れずJKの法則にのっとりイケてるJK仲間と群れをつくりました。
我々の高校は工業高校で、男子ばかりのなかで唯一女子が大半を占めるクラスでした。
そして3年間クラス替えはなし。
正しい群れに入ることは、15歳のはせがわには重要だったのでしょう。
(ちなみに最初の選択をミスったことには1年ほどで気づきました)
そんななか、彼女は浮いていました。
そんなことないヨォ、と彼女は八重歯を見せて笑いますがわたしは真顔で言います、浮いていました。
彼女の出で立ちはわたしから見れば(おそらく誰から見ても)独特で、人をよせつけないオーラを禍々と放っていました。
じつは、彼女との距離がなぜ縮まったのか、わたしははっきりと覚えていないのです。
記憶の欠如。
気づいたときには、気まぐれな猫のようにわたしに懐いていました。
そしてわたしも、それを当然のように受け入れていたのです。
「気まぐれな猫」とはまさに妥当な表現でして、彼女はときに腹を空かせたハイエナのようでもありました。
わたしは意識して学習するまでもなく、彼女の性質を把握していたような気がします。
彼女が「女と付き合ってる」と教えてくれたときでさえ、未熟な高校生だったはずのわたしの心に動揺も驚きもありませんでした。
おそらく、笑ったとは思うのですが。
彼女は、彼女のような女性のことを「レズビアン」と総称していることを知りませんでした。
彼女にそれを教えてあげなさい、とでも言うように、ある日図書館で一冊の本を見つけたのです。
女性同士の性愛を美しくも激しく(なんというありがちな表現)描いたこの小説との出会いは、わたしと彼女の高校生活を一変させました。
なぜレズビアン(元)である彼女の高校生活だけでなく、スーパー男好きノンケのはせがわの高校生活まで?とお思いでしょう。
それについては次回ということで。
はせがわ
彼女は娘より自分のほうがかわいいと言った
”優しくされると
すぐに舞い上がって
しまうのは
かまわれずに
育った子の運命”
ー『金魚妻』黒澤R(集英社)より引用
こんなモノローグを読んで猛烈に頷いた長谷川です、こんばんは。
さて、わたくしはカウンセリングに通っていると申しましたね。
このブログは、長谷川が自身を見つめ直すための備忘録のようなものと思っていただければと。
簡単にいうと日記ですね!
きっとブログってそういうもの~
都内某所、清潔感あふれるオフィスの高層階にて、東京の街を見下ろしながら月に1度ほどのカウンセリング。
ただただ自分の話をするだけで、カウンセラーの先生が長谷川の深層心理をサクッと解析!
それを聞いてただただ項垂れる長谷川。
よく考えてもみなさいよ、自分のこじれた性格を突きつけられてこれからどうしろと?
今まで普通に普通に生きてきたと思っていた自分の考え方を変えるのは至難の技でございますし?
「べつに変える必要なんてないよぉ!」
そんなことを仰る方もいますけどね、そんなの得てして綺麗ごと。
(自分とはまるで関係のない話だね)と思っていたからこそ爆笑しながら読めていた自己啓発本には、「相手を変えるよりも自分が変わる方が楽」というようなことはよく書いてありました。
それについてだけは、まったくもってその通りだと思っているのです。
今日はすこしだけ、長谷川の母とわたしの話をさせてください。
長谷川幼稚園児、弟誕生。男の子が欲しかった母親は憎き義母に顔面が似てしまった娘を放置し弟を溺愛
長谷川小学6年生、母親がアメリカに逃亡
長谷川中学1年生、両親が離婚
長谷川の母親、高スペックのアメリカ人彼氏多数
長谷川高校生、セックスに満足できない
長谷川大学院2年生、母親がアメリカでくも膜下出血にて倒れ永眠
その間母親の3人の彼氏、元彼らと会う
現彼氏、妻帯者にもかかわらず母を溺愛(長谷川にもスーパー優しい)
一方の長谷川、遠距離恋愛中の彼氏に2年間放置されている
長谷川帰国、2年ぶりに会った恋人になぜか抱かれない
長谷川大学院卒業、恋人と別れる
長谷川、1年ほどフリーの人生を謳歌する
長谷川、突如容体が急変、カウンセリングに通いはじめる
最近気がついたことなのですが、
わたしのコンプレックスの根底には間違いなく母親が関係しているようなんですね。
親としての母を見ていた時間よりも、女としての母を見ていた時間のほうが長いうえによく知っているんです。
母の惚気話もたくさん聞きました。
彼女はわたしよりもずっと愛嬌があって、素直で可愛らしいひとです。
そんな彼女が素敵な男性に愛されている様子を目の当たりにした長谷川は、セックスも満足にできず結婚を考えていた恋人との関係も終わりかけの20代女子。
愛されている母親が、羨ましくて仕方ありませんでした。
子供たちという犠牲を選び離婚して、女性としての自分を大切にすることを選んだ彼女なら当然だと今ならわかります。
娘はなぜこうも意気地がないのか。
なけなしの(それでいてばか高い)プライドだけは残っているので、それをなんとか使っていかなければ。
「彼女」、つまり亡くなった母については、きちんとまとめたいと学生の頃から考えていました。
それを思うと、カウンセリングで母の話を掘り下げたのはとても良かったのかもしれません。
どうやら21日ぶりの投稿らしいです。
意気揚々とブログをはじめたことに乾杯!なんて言っておきながら21日ぶり?
はぁ?
次回はこんな怠慢なわたしを急かしてくれる友人(自称元レズ)の話をします。
はせがわ
ごあいさつ
2018年10月3日。
わたしは27歳になった。
これからの数年間、世間からは「アラサー」という単語で一括りにされ、差し障りのない会話の中で独り身でいることをひっそりと哀れまれ、わたしはそんなことにはまるで気付いていないかのような表情でへらへらと笑って過ごすのだ。
いま独り身であることなど、気にしてはいない。
時々すごく不安になることはあれど、きっと同じ気持ちの女性は星の数ほどいるわけで、だからこそ「アラサー」などというジャパニーズ特有の略語で括られているだけ。
苦しむ必要はないのだ。
こんなふうに感傷に浸って無理やり冷静になろうとする自分を俯瞰して白目を剥いているのがわたくし、長谷川なちでございます。
ふわふわと夢見がちに生きてきた結果、27歳になったいまも薄給の編集アシスタント(アルバイト)を生業としてどうにかこうにか生き永らえています。
楽に生きてはいけないとはわかっているつもりです。
それでも色々なことが困難なのは、女に生まれたせいなのか、自分の努力が足りないせいなのか。
後者!まちがいなく後者~!
わかっているんですよ、努力が足りないし言い訳しがち、飽きっぽい性格ですぐに諦めがち。
これってどうにかならないもんですかね?な~んて自分の中の誰かさんに他力本願。
編集やりてえ!などと言い出してうっかり出版社にアルバイトとして潜り込めたことはここ数年で良かったことのひとつでした。
編集とか、ライティングとか、やっぱりそっちの仕事がしたいなと改めて確信したし、なんとなく業界のこともみえてきた頃、次のステップに進みたいと思うようになりました。
ギリギリ若くて動けるいま、ぬるま湯に浸かっているだけではいけないのだろうな~と思いながら転職サイトを徘徊するだけの数ヶ月。
結局なにも進める勇気のないわたしは、そのフラストレーションを解消するため文章を書いています。
この1年、カウンセリングを受けていました。
長谷川なちという人間を改めて見つめなおし、いろいろな葛藤もありました。
そしていま、自分のなけなしの(それでいてばか高い)プライドと戦いながらも生活に潤いを取り戻しはじめています。
そんなわたしの人生に欠かせない友人の話を、いつかひとつの作品にしたいと思っています。
そのためのこんな能書きが必要だったのかどうかはさておき、意気揚々とこのブログをはじめたことにまずは乾杯!
Cheers!
はせがわ